2005年07月22日

文体マジック

■「です・ます」と「だ・である」と、ブログに向くのはどっち?@九十九式

私の場合、ほとんどの記事を「だ・である調」で書いている。理由はただひとつ。文章を短くするためである。何かの記事でブログの平均滞在時間は数十秒程度、というのを読んだことがあるが、その意味では、簡潔な文章はブログ向きといえよう。ただ、この文体にも欠点はある。宮本氏も指摘されてるように、全体として「なんか偉そう」な感じに仕上がってしまうところだ。

下記を比較して欲しい。

・今日、カレーを食べました。インド人の人が作った本格インドカレーです。ナンがついてたんだけど、ご飯の方が絶対に合うって思いました。やっぱり日本人はお米ですよね!

・今日、カレーを食べた。インド人が作る本格インドカレーである。ナンがついていたが、これは絶対に飯だろう。やはり日本人には「米」なのである。

使うだけで無駄に重厚感を与える「だ・である」調だが、「つーか、ただの米好きじゃん」と気付かれたが最後、「もったいぶったバカ」の烙印を押されてしまうので注意したい。

私もいろいろなブログを見ているが、誤解を恐れずにいえば、ネットでお友達を作りたい部類の人の「です・ます調」率は高いと思う。親しみやすさをアピールするには有効なので、当たり前っちゃあ、当たり前なんですが。

皆さんは、結局どっちが向いていると思いますか? まあ、結局はケースバイケース、扱うネタによるのかな
思うに、ブログの文体に向き不向きなぞはなく、ブロガーのネットに対するスタンスが文体に表れているのではないだろうか。その意味で私は、親しみやすさよりも簡潔さに重きを置くシャイガールということで、ひとつ。
posted by おろちょん at 11:53| Comment(15) | TrackBack(2) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

脳天ファイラー

コメント欄にて「脳天ファイラーの元ネタは何?」と質問されたので、「脳天ファイラー 語源」でググったらウチのブログが表示されてしまいました。Google、使えない。

志村のマネをすると「そんなことばっかりやってると脳天ファイラーになっちゃうよ!」と叱り、「こんなに暑いと脳天ファイラーになるねぇ」とボヤいていた親の使用法から察するに、ニュアンス的にはクルクルパーと同義だと思う。頭が愉快な状態を表現する言葉はいろいろあるが、「バカ」や「キチガイ」は本気度が高いので、できれば「クルクルパー」「スカポンタン」「脳天ファイラー」でやり過ごしたい。

しかし、何故「ファイラー」なのか。

「脳天ファイヤー」なら、脳がファイヤーしちゃって大変なのねと理解できるが、ファイラーである。「FIRE」を「ファイレー」と読み間違え、「この脳天ファイレー野郎!」と罵り続けていたら、(ファイ)"レー"と"や"(ろう)がリンケージして「ラー」となった説、はどうだろうか。

どうだろうか、と問い掛けつつ2秒後に「100パーないね。」と思ってしまったので、これはなかったことにしたい。

ちょっと調べたところ、これは全国的に使われていた模様。インターネット無き時代に流行したことを考えると、恐らくテレビが元ネタだろう。一発屋芸人の一発ギャグだったのだろうか。

どうでもいいんですけれども、ファイナルファンタジーの世界で使用される魔法「ファイア」の次の段階が「ファイラ」なのは、この脳天ファイラーが元ネタだと思うので、スクエアエニックスに問い合わせてみるのもいいかもしれない。それを踏まえ、私はこの夏「脳天ファイガー*」を流行らせることにしました。最上級のバカを表現する「脳天ファイガー」。みなさんも、ご家庭や職場で是非。

【速報】
「ファイラ」とは中国語で「壊れた」「ダメになった」の意味であり「壊了」と表記する、との情報をいただきました。uniさん、たかっさんさん、本当にありがとうございました。これだからブログはやめられない。

---
*ファイア→ファイラ→ファイガ の順で強力になります。
posted by おろちょん at 15:29| Comment(10) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

ブログ症候群の恐ろしさ

時折、猛烈に「日記」を書きたくなることがある。

「ブログ=日記」が一般的な認識で、おまえのも十分「日記」だよ、とツッコまれるのは重々承知であるが、ラーメン食っただの髪切っただのいう状況描写のみの、いわゆる「ネット日記」はウンコさんだと思っているので、そうならぬよう注意しながら記事をUpしているつもりである。

が、たまに「今日、丸井で可愛いバッグ買いました(^○^)」とかいって、携帯のピンボケ画像をUpしたい衝動に駆られることがある。眞鍋かをりのようにネームバリューのある人間の日常ならまだしも、無名一般人の日記なぞ自己満足に過ぎず、それこそオナニーの骨頂なのでこっそりやりたいと思うわけだが、たまに公開オナニーしたくなるのもこれまた事実。

試しに、ただの日記を書いてみることにする。

7/12(火) くもり
朝起きたら枕元でダンゴムシが死んでいた。
死因は圧死。
枕元にダンゴムシ、というありえない光景に唖然とするも
もしかしたらこれは王子様の化身なのかも、と思って
摘み上げたら足がいっぱい生えててキモかったので
窓から捨てた。
目玉焼きの話とか水シャワーはまだ厳しいとかそういう普通の話を書きたかったはずなのに、いざ書き始めると妙な方向に行ってしまう。まるで、ダジャレをやめると死んでしまうオヤジのよう。これが俗に言う「ブログ症候群」なのか。

もう、普通の日記を書けない体になっているのかもしれない。


【Trackback】乖離していく日記サイト〜ブログ症候群〜(九十九式より)
posted by おろちょん at 11:46| Comment(25) | TrackBack(3) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

蚊取り線香は地球を救う

以前、あるテレビ番組で"昆虫宇宙人説"が紹介されていた。

昆虫は化石になりやすい体のつくりをしているにも関わらず、その祖先の化石がひとつも見つかっていないから、が根拠だという(詳しくはコチラで)。我々は映画や矢追のせいで、宇宙人は「人型」(もしくはタコ型)をしていると思い込みがちだが、それが昆虫型でもなんら不思議ではない。今朝、それを確信した。

通勤途中、電車のドア窓に体長2mm程度の小バエがとまっているのを見つけたのだが、こいつの動きが尋常じゃないのである。1cmくらいの距離を右へ左へひっきりなしに動く動く。それもコンマ数秒で。1cmというと大したことないように聞こえるが、体長の5倍である。私(164cm)で換算すると、約8mですよ。仮に人間が8mを0.2秒で移動すれば、それはもうイリュージョンでしょう。カッパーフィールド、出番なし。

体の大きさに誤魔化されているが、実は地球上で最も繁栄しているのは昆虫である、というもある。既に地球は宇宙人に侵略されている可能性が。今年も蚊の季節がやってくるが、夏の夜に繰り広げられる彼らとの格闘はすなわち、"宇宙戦争"といえるかもしれない。

キンチョウ=地球防衛軍。蚊取り線香で地球を救え。
posted by おろちょん at 11:24| Comment(26) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

「内輪ネタ」を「一般ウケ」させる法

お気に入りのサイトが突然見られなくなった。

削除や更新停止なら諦めもつくのだが、「プライベートモード」はあまりに悲しい。
まるでアク禁を食らったかのような疎外感。荒らしたわけでもないのに。
「扉」の向こうでは、選ばれし者たちだけがいつものように楽しい時間を過ごしているかと思うと、やるせない気分になる。

私は、全人類に己を誇示したいタイプの露出狂なので、mixiやプライベートモードには興味がないのだが、内輪オンリーてのも、それはそれで楽なのかな、とも思う。「アイオワのマグカップ」や「黄色いカーディガンを着こなす男」のフレーズを、説明なしで喜んでいただける空間。確かに、楽。

とはいえ、部外者にとって、内輪ネタほどつまらないものはない。
このジレンマを解決するにはどうしたらいいのか。

実は、「内輪ネタ」と「一般ウケ」を両立させる方法がある。

内輪ネタを繰り返すことで、それをコンセンサスにしてしまえばいいのである。かつて、とんねるずがマネージャーや放送作家の話を繰り返し、「ボブは体臭がキツイ」「宮嶋はシャクレである」「『哀愁でいと』といえばトメ」を視聴者に植え付けたのがいい例だ。彼らにしてみれば、普段通りの会話をしているだけなのに、視聴者にも喜ばれるという一石二鳥。

しかし、誠に残念ながら、私にはその根気がない。これからも八方美人でいきたいと思う。

---
おれはおまえのパパじゃない」のテラヤマアニさんが似たような話題を。しかも引き合いに出された例が同じ。
感動したのでトラックバック。
posted by おろちょん at 17:02| Comment(14) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

「モテたい」に潜む動物的本能

女性誌の定番文句「この春、モテ髪になる!」や漫才のツカミ「ボクらもモテていきたいな、なんて思ってるわけですけども」を見聞きするにつけ、世の中そんなにモテたいかと思う。

漫才師のソレは収入に繋がるとしても、一般人がモテたところで面倒臭いだけじゃないのか。
好意を寄せる人間に好かれるのはいいが、どうでもいいのに懐かれるのは迷惑以外の何物でもない。

件のモテ髪の記事は大抵、男子に対するアンケート結果が基準となっている。
そんな有象無象の意見を取り入れたところで、意中の彼の好みが五分刈りだった日には努力は水泡と化すのである。それならあらゆる手段を使ってターゲットの情報を収集し、相手のツボを押しまくる方がまだ勝算があるというものだ。

この矛盾から察するに「モテたい」の根底にあるのは、異性ではなく同性へのアピールではないだろうか。「世界中の男からモテモテになりたい」のではなく、「世界中の男からモテモテな私って、どお?」の牽制なのである。首狩族がシャレコウベを並べて自己顕示するが如く、言い寄られた男の数で他の女を圧倒しようとしているのだ。

そういや以前、友人(♂)が「カノジョが極端なダイエットをするので困る。今のポチャっとした感じが好きなのに。」とボヤいていた。彼氏の好みを無視してまで痩せようとするのは、他人の目を意識しているからだろう。彼女が淫乱ズベ公でなければ、それは女の目ということになる。

所詮、人間も動物。いい「種」を獲得するためには他人を蹴散らすイキモノなんだな、とシミジミしてみた。

---
動物といえば、「ライオンのオスになりたい。メスに尽くされたい。」と同僚(♂)にこぼしたところ、「えー、俺、ライオンのオス、嫌っスよ。だって、首の周りウザイじゃないですか。ボワボワしてて。」と言われたことがある。近年稀にみる毒舌だと思った。
posted by おろちょん at 12:24| Comment(11) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月13日

マンモス、見たいか?

今更ではあるが、「愛知万博の目玉は冷凍マンモス」に釈然としない。

一万年以上前の死体がほぼそのままで保存されていた、というのは凄いことだと思うし、絶滅した動物を生で見られる、というのは好奇心くすぐるものではある。が、私には「旧型のゾウ」という認識しかないので、その有難味が分からないのである。ヤンバルクイナが発見された時も「なんか地味な鳥」としか思えず、世間との温度差に戸惑ったものだ。

これが、頭がゾウで胴体がキリン、腹に袋があって笹を食うような生物の標本なら、今すぐにでも新幹線に飛び乗って名古屋に向かうが、毛深いゾウじゃなぁ。しかも頭だけだし。

そういえば、多摩動物園で「シフゾウ」という珍獣を見たことがある。「ひづめはウシに、頭はウマに、角はシカに、体はロバに似ているが、それらのどの動物でもないという説から、四不像(しふぞう)の名がつけられた」と仰々しく説明されているので、一体どんな珍妙な動物なんだろうかとドキドキしながらあたりを見回していると、柵の影からコイツが登場。


シフゾウ.gif


山で見つけても確実にスルーされるであろうインパクトのなさ。

学者の有難がるものにロクなものはない、と確信。

---
もしも、1万年後に冷凍猪木が発掘されたら、新種の人類発見さる!とかいって、世界が震撼しそう。是非、上手に保存されて欲しい。
posted by おろちょん at 14:43| Comment(19) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月05日

ブログの孕む危険性

先日、某芸能事務所よりお叱りのメールをいただいた。
一会社員の戯言が訴訟問題に発展しかねない、という怖さを改めて感じ深く反省した次第である。

インターネット普及以前、個人が情報を発信するには多くのハードルが存在した。
ジャンプ放送局へのネタ投稿すらボツに終わった私が、今では"思いつき"を鼻のひとつもホジりながら全世界に配信できるご時世なんだから、驚きである。

無審査をいいことに、アイドルに憧れる人間が"ネットアイドル"として、また、作家に憧れる人間が"ブロガー"として活動している例も少なくない(私がそうだ)。そんな「疑似体験ツール」がインターネットなのだが、「擬似」とはいいつつも、常に責任問題は発生している。

「注目されたい」という欲求のあまり、股間丸出し画像をUpしたり、ソース不明な記事を掲載したりするのは大変危険である。これが大手出版社なら裁判沙汰になってもクリアできるだろうが、個人の場合、人生を変えるような大問題になりかねない。

兎角、気軽さばかりが注目されるブログであるが、己が情報発信源である以上、責任を問われる立場にある、ということを忘れてはならないのである。


などと、至極当たり前のことをもったいぶって書いたわけだが、そんなことを気にし始めたら「今日学校行って帰ってウンコして寝ました」的な記事しか書けなくなるわけで、それはそれでなんだかアレな気もしないでもない。
posted by おろちょん at 13:00| Comment(36) | TrackBack(4) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月01日

マユゲを舐めるな

顔面パーツで最も重要なのは、眉毛ではなかろうか。

"マユゲ犬"が途方もなくマヌケであるように、眉毛は顔の印象を決定付ける大きな要因になっていると思う。眉専門の美容室がある、というのも頷ける話だ。

私はマユゲルゲなのでアイブロー(眉墨)のお世話になったことはないが、母は極端に眉が薄い。
冗談抜きで、2、3本しかない。その、気持ち程度の毛を大事にしつつ、毎日必死で眉を書く母の背中を見るたびに、あの事件を思い出す。

あれは数年前、姉の家に泊まった時の話だ。

久しぶりということもあり、母に異常に懐く甥(3歳)。それに気をよくしていろんなものを買い与える母。絵に描いたような孫バカっぷりである。夜になっても「ばあちゃん、ばあちゃん」とまとわりついて寝かしつけるのに一苦労だった。

翌日。私と姉で朝食の準備をしていると甥が起きてきたので「ばあちゃんを起こしてきてくれる?」と頼んでみた。「うん!」と笑顔で答えると、一目散に寝室へ。その直後に悲劇は起こった。

寝室から物凄い悲鳴と泣き声が。

どうやらノーメイクの母を見た甥が、そのあまりの変貌ぶりに驚き、同一人物と認識できなかったようだ。「ばあちゃんが!ばあちゃんが!」とパニックを起こす甥に呆然とする母。

その地獄絵図を見ながら、父(剛毛)の遺伝子に心から感謝した私である。
posted by おろちょん at 14:38| Comment(171) | TrackBack(3) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月09日

気付いてしまう、という不幸

松たか子という女優がいる。化粧品のCMに起用されるような可愛らしい人だ。

そんな彼女の印象も、ある日を境にすっかり変わってしまった。
とある番組で、ダウンタウン浜田が「松たか子はホンコンに似てる」発言をしたせいである。

並べて見ると大して似てないのだが、「似ている」と言われたことで松たか子が含有するホンコン成分(頬骨)が必要以上にくっきりと浮かび上がってしまうのだ。一度聞いたが最後、記憶の中の松たか子は「ホンコンに激似」に変換される。何たる哀れ。

一方、ホンコンが「松たか子似」と評価されることは少ない。
印象として「強」なモノが全てを支配する、というのは世の常である。その過剰さにおいて、ホンコンは松を遥かに凌駕してしまっているというわけだ。

私もこれと似たような悲劇を体験している。

私はソラマメが大好きである。
茹でたての香ばしい匂いとホックリとした食感。すこし塩をつけてビールと共にいただく至福の時。

ある日、居酒屋で茹でソラマメを注文したら同席者に「えー、よくあんな足臭いの食えるね」と言われた。それ以来「ソラマメ=足臭」が植え付けられてしまい、素直にソラマメを喜べない体になってしまった。

茹でたてのソラマメの香りを鼻先で楽しんでいたあの頃には、もう、戻れない。

もしあなたに好きなものがあり、コレ、何かに似てるな?と思ったら、それは危険信号だ。
決して追求してはならない。その先に大いなる悲劇が待ち構えているかもしれないからである。


---
似た人を集めている素敵サイトを発見いたしました。コチラ。人選に味があります。
なお、これにより「松嶋菜々子がベラにしか見えなくなってしまった」等の問題が発生したとしても、当方一切責任を持ちませんので、あしからず。

以下、蛇足(かなり下品なので要注意)
posted by おろちょん at 12:24| Comment(44) | TrackBack(3) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

笑いのツボ・怒りのツボ

人にはそれぞれ感情の「ツボ」が存在すると思う。
先日、吉本のお笑いライブを見に行ったのだが、他の観客との「笑いのツボ」のズレには戸惑った。

客の9割は10代から20代前半の女性で、これがまさに「箸が転んでも笑う」状態。前に座ってた女子高校生なぞはレギュラー("あるある探検隊"でお馴染みの漫才コンビ)が登場しただけで、腹を抱えて笑っていた。
「お前ら、簡単でいいな」と根拠不明な優越感に浸りつつ、次々と出てくる糞つまらない芸人どもに一笑も与えなかったのだが、周りはやはり爆笑。

私が変なのか、と不安になり始めたその時「頭にバンダナ 顎に片手、ってそれ談志師匠に見えちゃうから」で初笑い。しかし、周りは微動だにせず。「お前ら、ここは笑うところだろう」の心の叫びも虚しく、ひとり浮きまくる三十路女。何故、お笑いライブでこんな屈辱を受けなければならないのか。

このように、「笑いのツボ」はある程度世代でまとまりがあるようだが、「怒りのツボ」は推測が難しい。

近所の居酒屋の馬刺しが美味過ぎる件について熱く語っていると、同僚の一人が「馬を食べるなんて信じられない」と激怒し始めたことがあった。馬がいかに知能が高く優れたイキモノなのかを興奮気味に述べ、最終的に人間のエゴと地球環境問題にまで話は及んだ。"ホトケのおろちょん"と呼ばれるこの私も、これにはさすがにウンザリ。まさに「地雷」であった。

同じ日本人でも「怒りのツボ」は分かりづらいものだが、アメリカ人ともなると全く予測不能である。

一昨日のアカデミー賞授賞式にて、司会者がこんなジョークを言った。
「発表の瞬間、落選した女優が最優秀主演女優賞を受賞した女優に向けた笑顔と拍手の"演技"。あの"演技"が自分の主演作品でできたら、オスカー取れたのにね」

ちょっとしたブラックジョークで第三者にとっては面白いが、これ、当の本人は激怒すべきところだろう。が、特に問題になった様子はない。

こんなおおらかなアメリカ人ではあるが、その一方で「ハンバーガーとフライドポテトの食べ過ぎで肥満になったのは企業側の説明不足。損害賠償金を払え」とか言い出すのである。思いも寄らぬ地雷。

世界平和のためにも、「この人にこの話題は厳禁!」をお知らせする「地雷センサー」の開発をしてくれないだろうか。バンダイあたり、どうだろうか。ひとつ。
posted by おろちょん at 12:41| Comment(26) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月27日

男と女のラブゲーム

晴れやかな日曜の朝ということで、爽やかに下ネタをお送りしたいと思う。

B級AVやエロ漫画等で、男が女に「やらせて?」と迫るシーンがある。また、女は女で「させてあげない」とか抜かすわけだ。

このように、セックスの話になると女性が優位になりがちなのは何故なのか。

不感症でもない限り、女だってセックスで快感を得るのである。
「させて?」等と下手に出る必要なんかないだろう。そんな態度だからつけあがり、挙句の果てには「やらせてあげてもいいわよ」なんて話になる。一体何様なのか。

「性器の構造上、女が受身になるのは当然」としたり顔の田嶋陽子もいるが、女としても勃ってもらわないことには始まらないのである。にも関わらず、女が「やらせて?」と口説く場面をほとんど見ない。そんなことだから「女には性欲がない」と信じる童貞が増えるのである。

別に私はフェミニストでも男女平等論者でもないが、ことセックスに関しては対等であるといいたい。
男は「やらせて?」等と卑屈にならず、「やろうじゃないか」と胸を張ればいいし、女も「一戦交えたいの(はあと」と素直になるべき。

と、上記のような話を友人の♂に熱く語ったところ「でも、女があんまりヤル気マンマン(敢えてカタカナ)でも萎えるんだよね〜」とのご意見をいただいた。

「上の口は拒んでいても下の口は正直だな」にロマンを感じる男たち。男心は複雑。
posted by おろちょん at 11:10| Comment(30) | TrackBack(2) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月08日

「愛してる」と言わないで

今年も国生さゆりの金属声がスーパーでエンドレス、な時期がやってまいりました。

山下達郎の「クリスマスイブ」同様、季節限定歌として永遠に使われ続けるであろう「バレンタイン・キッス」。国生がこの印税収入だけで食ってたら、と思うと涙を禁じえない。

そんなわけで、今日はちょっぴり甘酸っぱい恋の話なぞをしてみたいと思う。

今となってはすっかりやさぐれてしまった私だが、横浜ベイブリッジで夜景を見ながら愛の言葉のひとつも囁かれた時代があった。

あるバレンタインデーの日。ゴディバを渡す私に「ちょっと待ってて」と彼が一言。しばらくして戻ってきた彼の手には花束が。唖然とする私に「外国では男が好きな人に花束をプレゼントするらしいよ。」と微笑む。そして「いつもありがとう。愛してるよ。」と言い添えた。

まさかその2ヵ月後に「他に好きな人ができた。ゴメン」と走り去る車を呆然と見送るハメになるなぞ、想像だにしなかったわけであるが、その日以来「愛してる」を口にする人間は全面的に信用しないことにしている。

そもそも、「愛してる」は日本人の文化じゃないだろう。

欧米文化を輸入した際、「I LOVE YOU」を無理矢理直訳したと思われる「愛してる」。訳すことは出来ても、それが体質に合うかどうかはまた別の問題だ。
短歌で互いの愛情を伝え合っていたような人種に、そんなあけっぴろげな表現が馴染むはずがない。だから物凄くウソ臭く感じるのである。かといって「好きです」だけでは特別感が薄く、正直、物足りないとも思う。

いろいろ考えたのだが、日本人の体質にベストマッチなのは「すっきゃねん」ではないだろうか。
若干の照れが入りつつも真っ直ぐで、そしてなんとも温かみのある言い回しである。
ネイティブ関西人から見ればなんてことのない言葉なのかもしれないが、非関西人の私から見ると大層ステキな表現に感じるのだ。

今まで関西人と付き合ったことがない、という不幸。死ぬまでに一度は「すっきゃねん」、そして「ええか、ええのんか」と言われてみたい私である。
posted by おろちょん at 14:58| Comment(29) | TrackBack(4) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「乙女」の実像

「乙女の恥じらい」が表すように、若い娘というものは、彼氏に鼻毛を指摘されただけで死にたくなるようなイキモノであると思っていたのだが、どうやら最近の子はそうでもないらしい。

年の頃は20くらいだろうか。ジムのサウナでよく見掛ける女の子がいる。

扉を開けると、上段でこちら側を向いて体育座りをする彼女が目に飛び込んでくるのだが、常に具が丸出しなのである。他の若い子たちも、具は出さないまでもタオルで隠すようなことはしていない。

むしろ、中年以降の人たちの方が過剰防衛しているように思う。「恥」に敏感であることが「乙女」の条件であるなら、そこのトドだのカバだのは完全に乙女であると言えよう。

男性諸氏にもこの「真の乙女像」をお伝えしようと、"具でお出迎えされる話 in サウナ"を同僚(♂)にしたところ「え、それどこのジム?俺、入会したい」との返答をいただいた。男は女風呂には入れない、という前提すら吹き飛ばしてしまう具の魔力。いろんなところに血がのぼってしまったのかもしれないが、もう少し冷静になって欲しい。

ところで、今朝、偶然件の女の子を電車で見掛けた。
服を着ている彼女を初めて見たのだが、なんだか妙に興奮してしまったことを告白して本日の更新とさせていただきたいと思う。
posted by おろちょん at 12:06| Comment(22) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月27日

松浦亜弥と「純愛ブーム」の意外な関係

今朝、「めぞん一刻」の中吊り広告を見た。

「赤の他人も応援したくなる、純愛ラブストーリー」とか何とかいうコピーがついていたのだが、「電車男」といい、そんなに世の中応援したがりが多いのかと思う。
わざわざ大昔の漫画を引っ張り出してまで「純愛ブーム」に乗せようとする広告代理店の仕事熱心さには頭の下がる思いであるが、そもそも「純愛」って何だ。

「純愛モノ」と呼ばれるものを総括するに、どうやら「肉」を感じさせない恋愛を「純愛」と定義づけているようである。平たく言えば「セックスのない恋愛」だ。なんたる陳腐。

セックスはそんなに不純なモノなのか。

確かに、臭い部分をヌチョヌチョさせながらあんなことやこんなことをするのがセックスの醍醐味であるが、その根本にあるのは「愛情」だろう。他人の股間を舐めまわすなんて、愛情がなければできない芸当である。「相手を喜ばせたい(悦ばせたい)」と思う気持ちこそ、純粋な愛情ではないだろうか。

純愛モノに見られがちな「キミを大切に思うから、抱けない」というセリフは限りなく胡散臭い。何が目当てなんだ、と思う。
だいたい、好き合ってる同士がひとつ部屋にいて何もしない(c冬のソナタ)というのは不自然極まりないだろう。それこそ何か別の企みがあるんじゃないかと疑いたくもなる。

その不自然さにおいて、「セックスのない恋愛」と「ウンコをしないアイドル」は似ている。

臆面もなく彼氏の話をしたり、シモネタをぶちまけたりする近年の「アイドル人間宣言」に幻滅した人々が、80年代アイドル像を松浦亜弥に求める図と、セックス抜き恋愛を崇拝する「純愛ブーム」の現実逃避の方向性は全く同じといっていい。

純愛ブームが終わる時、松浦亜弥も消えるのかもしれない。
あややファンは「めぞん一刻」を買っておいた方がいいと思う。
posted by おろちょん at 13:06| Comment(25) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月25日

「リタイア」に違和感

世に溢れるカタカナ英語に不平不満を垂れるのは「(東京都・主婦 53歳)」の投書のようで気が引けるのだが、「リタイア」にだけはひとこと言いたい。
直訳すれば「引退」を意味するこの言葉。最近では日本語としても「退職」や「老後」の意味で使われていると思う。

このように、頭ではちゃんと理解しているのに、どうにも馴染めないのである。

「リタイアしたら船で世界一周したいですね」と夢を語る人を見るにつけ、コースアウトしてクラッシュしたゴーカートを連想してしまう。世界一周してる場合じゃないだろうと思う。

私の中の「リタイア」には、何故かネガティブなイメージしかないのだ。

「老後は・・・」と切り出される分には全く問題ないのに、「リタイア後は・・・」と言われると「失敗」「挫折」「諦めの人生」等という言葉が頭に浮かび、根拠なく同情するのが常である。

「リタイア」はレースで脱落した時に使われる用語だったのに、大橋巨泉が「セミリタイア宣言」などと、カブレたことを言い出したのがそもそもの原因だと思う。日本人にとって「リタイア」とは、「マラソンの途中でおなか痛くなって座りこんで担架」とか「カーブを曲がりきれずスピンしてエンコ」とかであるべき。

現在の風潮に流されることなく、今後も私は「リタイア」という言葉を使う人間にはどんどん同情の眼差しを送り続けたいと思う。
posted by おろちょん at 14:49| Comment(15) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月05日

「傘」で知る人生の厳しさ

傘が嫌いだ。

上半身しか守れない、片手が塞がる、電車に乗れば足元が濡れる、臭い。まるでいいとこなし。
これだったらカッパを着た方がましだと思う。むしろ、何故カッパが主流ではないのか。

そういえば小学生の頃、ランドセルと背中の隙間に傘を挟んで「てぶら〜」と喜んでいたのを思い出した。さすが、神童とまで呼ばれた私。天才的発想だ。

つまり、全ての傘は「背負い型」にすべきなのである。
両手の自由が利くので安全だし、なにより楽だ。

なんてトレビアーンなアイデアなのかしら、と酔いしれていたら、既にこんなものが。

肩ブレラ

先を越されてました。

ところで、この商品のサイト。若干気になる点がある。

「『肩ブレラ』は、こんな時に便利にご利用いただけます。」には、「自転車に乗る時に」「小さなお子様をお持ちの方」「両手いっぱいの荷物の時」等、なるほど確かに便利そうだ、と思わせる事項が列挙されているのだが、コレはいかがなものか。

・携帯が鳴るビジネスシーンに
雨の大手町。颯爽と歩くビジネスマンの携帯が鳴る。
「ナニぃ?ウチは1億2億の損失は覚悟してるんだよ!さっさと売っちまえ!」と怒鳴るスーツの肩から肩ブレラ。

あまりオススメできない。

ちなみに、傘絡みのアイデア商品にはこんなのもあった。

世の中、傘にウンザリしている人が多いのは確かだが、傘の根本的問題を解消しようとすると、途端に頭をもたげる「マヌケ」というリスク。まさに、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
ノーリスクノーリターン。

何事も、いいとこどりはできない。

またひとつ、人生の厳しさを知った私である。
posted by おろちょん at 17:36| Comment(23) | TrackBack(1) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月09日

乳首をナメるな

突然ではあるが、今日は乳首について考えてみたい。

昨夜放送された「藤岡弘、探検隊シリーズ」では、何の修正もなく裸族の女性が映されていた。
テレビで女性の乳首を見るのは、ドリフ大爆笑における風呂コント以来だと思う。

ここ数年、紙媒体での露出激化に反比例し、テレビでの規制は厳しくなっているらしく、
深夜のプチエロ番組ですら乳首を見ることはない。
それなのに、昨日はゴールデンタイムに乳首の大盤振る舞いだった。

裸族がOKでギリギリガールズがNGな理由は何か。
どうやら「性的アピールとしての乳首」に問題があるらしい。

そこでひとつの大きな疑問が浮かんだ。
何故、男子の乳首には規制がないのだろうか。

授乳をしない男性の乳首は、性感帯として存在するのみ。
つまり、乳首イコール性的アピールなのである。
性の悦びを享受する為だけに存在する、という意味では、男性の乳首は
女性のクリトリスに相当する。

クリトリス丸出しで雄叫びをあげる北島康介。

明らかに放送禁止である。

しかし。

考えれば考える程、乳首は不思議だ。

キューティーハニーの変身シーンに乳首があったら、アニメ化の話はなかっただろう。
乳首が黒いというだけで、「ヤリマン」の烙印を押されかねない。
「ヌード」と「セミヌード」の境界線は乳首であり、落ち目アイドルはこのたった二つのポッチを
出すか出さないかで悩み苦しんでいる。

このように、この小さな突起物が持つインパクトは我々の想像を遥かに超えるのである。

たかが乳首 されど乳首

乳首をナメてはいけない。
posted by おろちょん at 12:46| Comment(41) | TrackBack(4) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月03日

ほりえもんを苛めないで

突飛な服のセンスでお馴染み、ライブドア堀江貴文社長が著書『稼ぐが勝ち』で「人の心は金で買える」と断言したらしい
こんな当たり前のことを今更本に書いちゃうのは、あの変なTシャツくらい恥ずかしいと思う。

「女はお金についてきます」と断言し、「ビジネスで成功して大金を手に入れた瞬間、『とうてい口説けないだろうな』と思っていたネエちゃんを口説くことができたりする。その後は芋づる式です」…。
人は金がなければ生きていけない。
自力で金を稼げない女が金のある男になびくのは、動物の本能として当然のことである。人生を真面目に考える"しっかりサン"な証拠だ。
一方「お金なんかじゃないわ。愛よ!」と言い切る人は、刹那的に生きる無計画な人間とも言える。

そんな愛至上主義者の辿る破綻への道をシミュレートしてみた。

金はないけど、とにかくラブラブ

金がないので遊びに行けない

遊びには行けないが、ラブラブなので自宅でセックス

セックスすると腹が減る

しかし、金がないのでロクな食事ができない

どんどん腹が減る

腹が減るとイライラする

「漬物に醤油をかけるな」「目玉焼きにはソース」「ウンコが長い」等、些細なことでケンカ頻発

セックスの回数が減る

愛がなくなる

離婚

見事なバッドエンドである。

そういえば、先日の「トリビアの泉」で「結婚相手に求めるのは愛か金か」の調査をしていた。
結果「愛」を選んだ人の方が多かったのだが、これはなんだかんだで日本が豊かな証拠だと思う。

金銭面で困っている(困ったことがある)人は、金の有難味を身に染みて感じているはず。
だからこそ、「金」を選ぶのであり、「愛」を選択する人は比較的裕福な生活を送る人間なのだろう。

是非、北朝鮮で同じ調査をして欲しい。

なんとなく変な方向に行きそうなのでこの辺で強引にまとめようと思う。

「金への執着は生への執着」

ほりえもんはただ必死に生きているだけなのである。
生温かい目で見守ってやってください。

Trackback:人の心はお金で買えるか【少年エーミール】
8/17(火)増刷決定!【livedoor社長日記】
posted by おろちょん at 13:41| Comment(47) | TrackBack(5) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月02日

ケータイ命な人々

先日、「運転中にケータイ」が11月より罰金対象になる、というニュースがあった。

正式に決定された反則金は、大型車が7,000円、普通車とバイクが6,000円、原付自転車が5,000円となる。なお、行政処分は1点。
原付かない自転車はどうしましたか。

最近、自転車を運転しながらケータイをいじくり倒している人をよく見かける。
その運転技術への驚きもさることながら、命の危険を冒してまでメールを打つ用事がそんなにあるものかと、ある意味感心する。そもそも、そんなに急用なら電話をすればいいじゃないか。
それともアレか。誘拐犯の目を盗み、メールで助けを求める友人を救出に向かう最中なのか。チャリで。

日本も物騒になりました。

そういえば、この前、友人M岡(♂)とケータイ依存症の話になった。
恋愛真っ最中の脳内お花畑なアッパラパーは全ての話がノロケに帰着する、というセオリーがあるが、彼女ができて半年、今が人生のピークと言い切るM岡も例外ではなかった。

「そうそう、俺の彼女もすげえ携帯依存なのよ。
トイレにも風呂にも必ずケータイ持って行くしさ。笑っちゃうよ、マジ。」

いや、M岡。それは別の理由だ。

その言葉を飲み込み、曖昧な微笑みを浮かべた私。
我ながらオトナだったと思う。
posted by おろちょん at 11:57| Comment(29) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする